40歳の増え続ける悩みに対処するための考え方

40歳になってみたら20歳の頃より悩みが増えていた

当ブログのタイトル『眼鏡猫や四十にして惑う』のとおり、私はちょうど40歳になったところです。20歳の頃に思い描いていた40歳の姿というのは、「経済的余裕があり」「暖かい家庭があり」「それなりの地位があり」というようなポジティブなイメージが中心でした。もちろんこれは、必ずしも外れている訳ではありません。少なくとも傍目には、それなりに順調に年齢を重ねてきているように映っている気がします。

しかしながら、実際の心境としては「悩みが増え続けていて、こりゃたまらん!」というのが正直なところです。

  • 人間関係の悩み(利害関係がだんだん増える)
  • 家族の体調の心配(だんだん年をとってゆく)
  • 仕事上の責任が増加(社会的責任も増える・部下も増える)
  • 経済的な心配(定年までの収支が見えてくる)
  • 子育ての悩み(思い通りいくわけがない)
  • 自分の健康状態(想定外の部位が弱ってくる)
  • 増え続ける手続き関係(税金・保険・ローン・年金・相続)
  • 家が狭い・片付かない(家族が増えるとカオスに)

これ以外にも、口に出しにくいようなプライベートな悩みはいくらでもあります。当然ですがあきらかに20歳の頃よりも悩みは増えています。むしろ、気づいていなかった事にどんどん気づいていくような感覚です。「あれもあった・・、これもあった・・」という感じで、気が重くなるネタが尽きることはありません。

悩みを減らそうとする努力はしんどい割に意外とはかどらない

悩みが増えてくると、心の重荷が増え、人生を楽しめなくなってきます。そうなると、悩みを少しでも解決して減らそうとするのが自然な反応です。

  • 「うまくいっていないあの人との関係を修復しよう」
  • 「仕事上の課題を解決して少しでも重荷を減らそう」
  • 「溜まりに溜まった手続きを済ませてしまおう」

というふうに・・。

しかし、当たり前ですが「ひとつ解決すればまたひとつ」という具合に、問題は次々と降りかかってきます。体感的には30代後半くらいからこの速度が急激に加速します。増え続ける悩みの加速度が速すぎて、とても解決が追いつくような状態ではなくなってくる訳です。まるで次から次へと敵が降ってくるインベーダーゲームのようです。ひとつひとつの悩みは、ちょっと工夫すれば解決するような物であっても、こう矢継ぎ早に降りかかってくると、意外と効いてきます。

ここまで書くと、単なる愚痴のようになってしまっていますが、それでも前向きに生きていかなければなりません。いやむしろ、あわよくば楽しくハッピーに生きていきたい訳です。まだ人生は残り半分有る訳ですから。

ではどうすればよいか?」という事について考えてみましょう。

「悩み」を受けいれたまま「喜び」を増やすという考え方

結論から書きますと、次のようなことがポイントになります。
悩みがゼロになることはありえないので、受け入れてしまいましょう
ということです。

ここで勘違いしてはいけないのは、これは、悩みの解決を放棄しちゃいましょうという事ではありません。ひとつひとつの課題は、今まで通りコツコツと解決するしかありません。しかし、それを不幸なこととしてとらえるのをやめましょうということです。

ただ、急に悟りを開いたように、全てを受け入れるというのは、普通の人にはできません。そこで、私が実践を試みているのは、「無理やりにでも生活に喜びを導入する」ということです。文章に書いてみると、なんだか陳腐みたいですが、意識しないと、案外おろそかにしてしまっている事に気づいたりします。

  • 仕事の楽しさを見つける(無理やりにでも・・)
  • 没頭できる趣味を続ける(社会人になって辞めてしまったアレ)
  • 何が何でも家族との時間を持つ(1時間でも、10分でも)
  • 持ち物を大事にする(まずは自分の手元から)
  • 美しい芸術に触れる(探せばそこらじゅうにあります)
  • 筋肉を鍛える(得るものしかありません)
  • 居住環境をわずかでも改善する(いらないものを一つだけ捨てる)
  • 見返りがなくても人に親切にする(親切にすること自体が報酬)
  • 知的好奇心を満たす(ネタは無限にあります)

書いてみると、本当に当たり前の事のようですが、「悩みの解決」だけに心を囚われていると、実際に行動するのは案外難しいのです。しかし、だからこそ無理やりにでも、やってみたほうがよいと思うのです。そして実際に行動してみると、実は20歳の頃よりも「喜びを実現するための手段が圧倒的に増えている」ことに気づきます。

20歳の頃に、泣く泣くあきらめた高価なコンサートに行くことも今ならきっと可能です。知的好奇心を満たすための知人も、当時より増えているかもしれません。仕事の責任が増えているということは、裏を返せば、楽しさを作り出すチャンスも増えているということです。20歳の頃に、はるか遠方だと思っていた憧れの地も、出張ついでに立ち寄れるかもしれません。

「喜び」を定期的に心に補充してやることで、意外なほど「悩み」を受け入れ、背負ってゆく耐久力がみなぎってきます。「なんだ自分はたいして不幸ではないじゃないか!」という事に気づいたりするわけです。

意識的に「喜び」を補充するとQOL(人生の質)が加速度的にUPします

自分の考え方や行動を変えてゆくというのは、それだけでも案外しんどいものです。ありのまま言えば、最初は多少自分に喝を入れてでも無理やり行動しないと、「喜び」の補充もはかどりません。

私は去年から手始めに、若い頃やっていた楽器の練習を再開しました。本気で練習するのは10年ぶりくらいです。長いこと開けていなかった楽器ケースの蓋を開けるというのは、思った以上にウンザリするような作業でした。

しかし物事が一番面倒なのは、最初のとっかかりだけだったりします。徐々に、しばらく使っていなかった筋肉を動かす快感が勝ってきます。「あ、今の瞬間が楽しい」と素直に思える時間帯は、思いのほか簡単に取り戻すことができました。

そうすると、実は意外な副次効果もあります。脳が活性化するからでしょうか。「次は筋トレをしてみよう」「行ったことのない店に行ってみよう」というような前向きな気持ちが沸きやすくなってきたのを実感しています。仕事人間になるにつれて、日ごろ感じることが少なくなっていた感覚が、少しづつ戻ってきています。こうして、自分の意識を好循環に乗せることができれば、QOLの改善が加速してゆきます。

もちろん、すぐに劇的に変わるというわけにはいきませんが、「昨日より今日のほうがマシ」という精神で、少しでもハッピーな人生にしてゆこうじゃないか、っていう話です。

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