40歳を過ぎたら「わくわくするもの」を意識的に持つ事が必要

30歳前後までは何をしていても楽しかった

30歳くらいまでは、何をしていても楽しかったと思います。もちろん、恋愛に苦しんだり、仕事が辛かったり、人間関係に苦労したりしましたが、それでも、ただ楽しかったと言える気がします。

まだまだ時間は無限にあるように感じていましたし、「これから先は今より人生が良くなるはず」という根拠のない希望を持っていました。しかし、40歳を迎える頃になると、なかなかそうはいきません。誰しもに当てはまるか分かりませんが、少なくとも私は、変化してきました。

例えば、40歳を過ぎると「食べているだけで幸せ」ではなくなる

思えば、社会人になりたての20代の頃など、自分で稼いだお金でお腹がはちきれそうなくらいの焼き肉を食べることが、本当に幸せでした。食べ終わることが悲しい程、夢中で食べたものです。

しかし、最近はそういう訳にはいかなくなってきました。要因は「体力が低下してきたこと」と「舌が肥えてきたこと」にあるのでしょう。何もかも夢中になって食べていた、野獣のようだった頃の情熱はさすがにもうありません。食を楽しむのであれば、しっかりとした美味しいものを静かに楽しむ必要が出てきたのです。面倒くさいですね。

例えば、40歳を過ぎると「勉強になる」だけでは頑張れない

基本的には「全ては経験値になる」というスタンスで生きてきました。「若いときの苦労は買ってでもしろ」というようなことを意識していた訳ではありませんが、何かを乗り越えれば、将来必ず生きてくる、という風にとらえてガムシャラにやってきたという感じです。

しかし徐々に、ただ自分の勉強になるだけではダメだという、当たり前のことに気づき始めてしまいます。「自分は何を残したか?」「何を成し遂げたか?」ということを自問するようになるのです。難儀ですね。

例えば、友達付き合いが限られてくる

思えば、高校時代・大学時代に群れて、ただワイワイと遊びまわっていた友人たちと会うことも減りました。何人かの友達は、年1回程度会いますが、もうお互いいい大人です。盛大に酔っぱらってハメを外すなどということもありません。

それに、身も蓋もない話ですが、お互いの経済力の差が見えない壁となって立ちはだかります。娯楽や子育てにかけられる費用があまりに異なると、なかなか会話もかみ合いません。

注意!会社などにアイデンティティを委ねるのはよくない

結果的に、会社の同僚や上司との付き合いが「楽」ということになってきます。経済力もだいたい同じですし、一緒に何か仕事を達成した仲間とは連帯感も芽生えます。

しかし、これは危ないです。会社というのはいつか引退する時が来ます。今まで当たり前のように存在していたコミュニティから、放り出される時期が必ず来るわけです。

もちろん、仕事を辞めた後も会社時代の仲間とつながっていることは可能です。しかし「仕事」という媒介なしに、ただつながっているもの案外、難しいものです。

「わくわくするもの」を意識的に持たないと危険

『危険』は言い過ぎかもしれませんが、本当に意識しなければならないと思っています。

40歳という時期は、仕事が順調な人であれば、いよいよ身も心も忙しくなってくるころではないでしょうか。その忙しさの中で、自分が「わくわくするもの」が仕事だけになってしまうのは、危険だと思うのです。それをやり終えた後に備えておくべきだと考えています。

私自身、いくつかのことを考えています。今やすっかりやめてしまった音楽活動を再開しようか、などということも考えています。実はこのブログも「わくわく」作りの一環です。

どういう展開になるのか分かりませんが、とりあえず続けていこうと思います。

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